Manufucturer Designation Name Remarks No/B
Lockheed F-117A Nighthawk 初期量産型 64
Lockheed F-117B Nighthawk 低被探知レーダー搭載 防空網制圧機 計画中止 0
Lockheed F-117N Nighthawk 艦上機型 計画中止 0

 アメリカでは共産国で日増しに発達する防空網に対抗するため1970年初頭からステルスの研究を始め、1974年にXST(Experimental Stealth Technology)計画を立ち上げた。これに対しケリー・ジョンソンの後をついだベン・リッチ率いるLockheedのSkunk Worksは菱形の機体を提案したが、とても空を飛べるような形状には見えなかったことからHopeless Diamondと名付けられた。その後独自に開発したRCS(レーダー断面積)計算プログラムにより徐々に進化していったLockheed案は、ソ連の科学者が1962年に発表したまま埋もれてしまい、1971年に米空軍により発掘されたRCS解析手法を組み込んだプログラムにより生み出されたNorthropの案と採用を競い、1976年4月に勝利を得た。模型を使ったRCS実測試験の結果両者に殆ど差はなかったものの、Northropの機体はインテイクスクリーンの影響で最大速度がMach0.65しかなかったことやLockheedにはSR-71等特殊な機体の実績が豊富だったことが勝因とされている。

 工期短縮のためF-16のFly-by-Wire、F-5Eのエンジン、降着装置、B-52のINSなどを流用して1977年12月1日と1978年7月に初飛行したXST 1,2号機はどちらも墜落してしまったが、前述のソ連のRCS解析手法により更に進化したF-117Aの全規模開発機は1981年6月18日に初飛行し、試験飛行中に1機の損失を出しながらも1983年10月に作戦遂行能力を獲得、1990年までに全規模開発機5機を含めた64機が製造された。機体はRCSの計算を容易にするため平面の集まりで構成されているが、当然空力的には滅茶苦茶な形状のため全く安定性が無く、それをFly-By-Wireにより補っている。

 1989年12月19日のパナマ侵攻が初の実戦参加となったものの、パナマに突破しがいのある防空網が存在するはずもなく、また日中の活動ため何のために参加したのかよくわからない作戦だったが、1990-1991年の湾岸戦争では通常機が近寄れない防空網の張り巡らされた危険なバクダッド周辺の空爆を担当し、1271ソーティーを実施して約80%の命中率を誇った。その後のコソボ空爆では不運にも1機を喪失しているが、これは単なるまぐれ当たりであり現在も有効な迎撃手段は存在しない。援護戦闘機、防空網制圧機、電子妨害機を必要とせず少ない機数で重要な目標を確実に叩けるF-117Aの重要性は当分揺るがないと思われる。現在は在韓米軍基地に展開を開始し、問題ばかり起こす半島全域を威圧している。
Picture of This Aircraft
F-117A 79-10781
National Museum of the United States Air Force
Wright Patterson,OH

F-117A 80-0788
Nellis Airshow 2007
Las Vegas, NV



Fighter Index
F-111F-1