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Home > Aircraft > Aircrafts Index > Fighter > F-94
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Manufucturer |
Designation |
Name |
Remarks |
No./B |
Lockheed |
YF-94 |
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旧称ET-33A 試作機 T-33A改造 |
2(CV) |
Lockheed |
F-94A |
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初期量産型 |
109 |
Lockheed |
YF-94B |
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試作機 |
1 |
Lockheed |
F-94B |
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アビオ、油圧改良 |
355 |
Lockheed |
NF-94B |
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XF-99用レーダー試験機 |
1(CV) |
Lockheed |
YF-94C |
Starfire |
旧称YF-97A 試作機 |
2(CV) |
Lockheed |
F-94C |
Starfire |
旧称F-97A Eng、燃料、翼、アビオ、武装強化 |
387 |
Lockheed |
DF-94C |
Starfire |
AIM-4運用テスト機 |
1(CV) |
Lockheed |
EF-94C |
Starfire |
偵察カメラ実験機 |
1(CV) |
Lockheed |
YF-94D |
Starfire |
単座戦闘攻撃機 開発中止 |
2(CV) |
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・Engine エンジン |
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Manufucturer |
Designation |
Remarks |
Applications |
No./B |
Allison |
J33-A-35 |
4,600/5,400lbf アルコール噴射 |
F-80, F-94A/B, T-1, T-33 |
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Pratt & Whitney |
J48-P-5 |
6,350lbf/8,750lbf |
F‐94C |
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1947年にソ連が公開したB-29 スーパーフォートレス爆撃機のコピーTupolev Tu-4 ”スーパーフォートレスキー”はアメリカに大きな衝撃を与えた。この機体によりソ連がアメリカ本土への核攻撃能力を持ったことは明らかで、これに対抗する迎撃機といえば旧式のレシプロ機Northrop
P-61 Blackwidowであり、開発中の全天候ジェット迎撃機F-89も就役は当分先になりそうであった。そのため空軍は応急処置としてF-82にレーダーを搭載した機体をF-82F/Gとして配備し、さらに手っ取り早くジェット迎撃機を手に入れるためF-80を改造するようLockheedに要求し、TF-80Cの後席をレーダーオペレーター席とし機首を再設計してE1火器管制装置(FCS)、レーダーを搭載、強力なエンジンに換装、インテイクと水平尾翼を改良したETF-80C(後にET-33A)は1949年4月16日に初飛行、12月から部隊配備を開始した。
F-94Aは初のアフターバーナー付ジェット機となったが、初期にはアフターバーナー使用中にフレームアウトが多発、コクピットが狭かったため緊急脱出でも事故が頻発した。またE1は信頼性が低く、敵機の後方からしか迎撃することができなかった。F-94Bは悪天候着陸システムを装備し油圧系統を改善した機体で、YF-94Bは1950年9月28日に初飛行し、翌年1月から配備を開始した。A型は1951年に日本の米軍基地防空を担当、B型は1952年からF-82と交代して朝鮮戦争に参加し爆撃機のエスコート、在韓米軍基地の防空を任務とし、1953年1月30日には初撃墜を記録した。F-94A/BはF-89やF-86Dの進出により1954年中旬までには州航空隊へ移管された。
F-94CはA/Bでの欠点だったスピードと上昇率を改善するために開発された機体で、強力なエンジン、E5FCS、再設計された主翼とスピードブレーキ、一点給油式燃料系統、ドラッグシュートを持ち燃料搭載量を増加、ロケット弾で武装した機体は大幅に設計変更されたことからF-97と命名された。当初空軍はこの機体に興味を持っていなかったが、1950年1月19日に初飛行したYF-97は空軍を納得させるのに十分な性能を示し、2月には採用が決定、9月12日にF-94Cに改称されたがこれは新型機としてより既存機の改良型として開発したほうが予算が獲得しやすいためであった。またStarfireという名称も与えられた。F-94Cは1951年7月に配備されたが、ドラッグシュート、オートパイロット、エンジン、エルロンフラッターなどのトラブルのため作戦能力を獲得したのは1953年6月だった。その後射出座席、エアブレーキ、ドラッグシュートを改良、翼端にもロケット弾を搭載、またダイブ中に音速を突破した初の迎撃機となったが、後継機の充足に伴い1959年2月までに全て州航空隊へ移管され、その年の夏には完全に退役した。 |
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