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Home > Aircraft > Aircrafts Index > Fighter > YF-96
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Manufucturer |
Designation |
Name |
Remarks |
No./B |
Republic |
YF-96A |
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YF-84Fに改称 |
1 |
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・Engine エンジン |
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Manufucturer |
Designation |
Remarks |
Applications |
No./B |
Wright |
J65-W-3 |
7,220lbf |
F-84F, YF-96 |
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Republicは1947年3月にF-84の後退翼型を提案したが空軍の興味を引くことができなかった。しかしF-86が成功したことから1949年に再度速度、ペイロードを強化した機体を提案、YF-96Aとして開発が承認された。F-84Eの生産ラインから1機が抽出され1950年6月3日に初飛行したが、エンジン推力不足のため上昇力がXP-84より悪化、空軍は再び同機に興味を失い開発優先度は下げられてしまった。
1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発するとより高性能な戦闘爆撃機が必要となり、9月8日にYF-84Fと改称されて開発が再開された。改称の理由は新型機の開発とするより既存機の改良とした方が予算が獲得しやすいためである。強力なエンジンに換装し新製されたYF-84F
2号機は1951年2月14日に初飛行、速度、航続力、機動性が改善されたため直ちに採用され、Republicの生産能力では間に合わず、General
Motersに機体やエンジンの第2生産ラインを増設するほどの大量発注が行われた。但し当初コスト削減のため55%としていたF-84Eとの共通性は大幅な再設計のため殆ど無くなってしまっている。
1号機49-2430は1953年3月30日からパラサイト戦闘機FICONに改造され、RB-36Fとの空中発射、収納テストに使用された。XF-85のように機体を完全に格納するわけではなく、機首のフックと左右胴体側面のスリングポイント2箇所の合計3点で機体を引っ掛け、半埋め込み式に収容する。また水平尾翼はB-36の胴体と干渉しないよう下半角がついている。この実験は1954年からRF-84Kに受け継がれたが、結局空中給油技術の進歩のため実用化はされなかった。 |
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