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Republic XF-103 Thunderwarrior
F-102 F-104
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Manufucturer Designation Name Remarks No./B
Republic XF-103 Thunderwarrior 開発中止 0
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Fighter
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 第2次大戦後ソ連からの核攻撃への恐怖心を日増しに募らせていたアメリカ空軍はインターセプターの開発に狂奔していたが、これまでの亜音速迎撃機F-94,F-89,F-86Dではすぐに時代遅れとなり今後就役するであろうソ連の高性能爆撃機に対抗できなくなると考え、1954年就役を目標とした超音速迎撃機を1950年6月18日に各社に要求した。このうち後にF-102F-106となるConvairの案はMach2を狙っていたが、Republicの案は更に上を行き、なんと最高速度Mach3.7を目指していた。

 同社はロケットエンジンを搭載したXF-91でMach1を突破していたが、XF-103ではMach3以上の飛行を可能とするために動力をターボ/ラムジェット混合とし、高速飛行により発生する高熱に耐えるため機体はアルミに代わり当時はまだ未知の素材だったチタンを使用することになった。また空気抵抗を極力減らすためXF-98(AIM-4)ミサイルは機体内臓とし、カプセル式の操縦席にはキャノピーが無くパイロットはペリスコープ(後にF-84Gに搭載して実験を行った)を覗いて前方を見るようになっており、脱出方式はカプセルごとの下方射出となっていた。

 1953年3月にモックアップが完成、当初の予定の1954年から大幅に遅れた1960年の初飛行を予定して開発が始まった。エンジン、チタン合金の開発が難航したものの1957年1月に漸く1号機の製作が始まったが、ジェットエンジンの開発がどうしてもうまくいかず、それ以上の計画遅延と開発費高騰が許容されるはずも無く8月21日に遂に開発中止となってしまった。1950年代の技術レベルでは到達目標があまりにも高すぎたXF-103の開発は1億4000万ドルをかけながら結局失敗に終わったが、この機体によって確立されたチタン合金の製造、加工技術はその後多くの機体、特にYF-12/SR-71に役立ち航空機全体の発展に大きく貢献することとなった。



XF-103 模型
Planes of Fame Air Museum
Chino,CA

XF-103 模型
Cradle of Aviation Museum
Garden City, NY















































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